サラリーマンという人生

  2016/04/27

サラリーマンは
気楽な稼業と きたもんだ
二日酔いでも 寝ぼけていても
タイムレコーダー ガチャンと押せば
どうにか格好が つくものさ

そう「ドント節」で植木等が歌ったのは1962年のことである。高度経済成長期の真っただ中であり、それはサラリーマンという働き方が確立された時代でもあった。

それから50年以上経った現在、日本の労働人口の9割はサラリーマンとなった。植木等の言が正しければ、あるいは日本人の9割は”気楽になった”のかもしれない。

ところで、忘年会シーズンである。特に会社ではそれが国民に課せられた義務かのように開催される。断ることはできない。どうしてもと言うなら、徴兵逃れのごとく醤油の一升瓶を飲み干すくらいの覚悟が必要である。

曲がりなりにも小生も一介のサラリーマンであるので、義務を果たさねばならない。そうして昨夜がその義務であった。

平日木曜日の18時半。都内某所の居酒屋に到着する。席に通されても、しばらくは座れない。着いた者から順に座ればいいものを、ひとしきり上座がどうの下座がどうのとのやり取りが続くのである。ようやくで着席する。

すでにテーブルには料理がセッティングされている。肉がきれいに盛ってある。しゃぶしゃぶらしい。各々に前菜があり、ローストビーフみたいなやつにコンソメジュレっぽいものがかかった料理他二品がしつらえてある。豪華と言えば豪華だが、別にテンションは上がらない。食事はひとりを含め誰と食べるかが大切なのだ。このシチュエーションでは、あるいは雑草を食ったって大差ない気がする。

それから、遅れている人たちを待つこと20分ばかり。上長より恭しく労いや来年に向けての挨拶がなされ、乾杯となる。手が届く範囲をゆうに超え、大仰に身を乗り出してグラスをぶつけ合う。その後、グラスを置いて拍手する。

仕事のああだこうだ、先週はどこどこに行った来週はどこどこに行く、サッカーだか野球だかでどこが勝っただ負けただといった話が飛び交う。私はそれを聞いてひたすら相槌を打ち、要所要所でうなづいてみせる。

料理をつつく。概して皆、やたらとうまいだとか良い肉だとかの賛辞を述べる。今回の費用は部長のおごりだということもあり、褒めるために食べているようにも見える。ちなみに私はお世辞など口が裂けても言えない質なので、モナリザよろしく微笑の力を信じてやり過ごすばかりである。

みんな、いろいろ話して、けっこう楽しげに笑っている。私はそれらを傍観して、どんどん真顔になっていくのを感じる。お酒を飲み続けているのに、冷静になってゆくのを感じる。私には、話すことがない。このような場で、ざっくばらんに語れる話がない。絵を描いていることも文章を書いていることも、一切言わない。そんな”水商売”は、会社には不必要な、もっと言えば排除されるべきものだからだ。ここでの私は、無趣味でやる気のない低能サラリーマンでしかない。

ほとんどずっと、一人の上司を観察していた。初めはごく固く振る舞っていたのに、杯を重ねるごとに身振りが大きくなり、声高になり、股が広がっていった。彼はあと、十年足らずで定年だろうと思う。頭髪はもう総じて霜降っており、額に目尻に深いしわが刻まれている。それは笑うと一層深くなり、あるいはマジックで線を引いたようにも見える。あと十年、都度都度こうやってサラリーマンの責務を果たして行けば、彼は無事に老後を迎え、おじいちゃんになれるはずだ。

彼を見ていると、これも仕事の内なのだという感慨がしみじみと込み上げてくる。不意にそこに父の姿が重なると、それは切なさや哀愁も帯び始めて、私は宴席でひとり涙っぽいものを喉元で押し殺していた。

みんな、少なくとも九割の人は、こうやって生きてるんだよなと思う。このような生き方を”人生の中心”に据えて、そして実際人生の中心と信じて、生きていってるんだよなと思う。

距離を感じる。めまいがするほどの距離を感じる。私の居場所はここじゃないと思う。だけど、思うだけだ。口には出さない。行動にも出さない。こうすることでしか生きていけないのだ。少なくともいまは。

目の前に座っている同い年の同僚が、モスコミュールうまいっすよねモスコミュールうまいっすよねと連呼している。私はそれを尻目に冷酒を一合頼んだ。お銚子だけが届き、その後なかなかおちょこが出てこない。もういいやと思って私はお銚子にそのまま口をつけた。お酒強いっすねお酒強いっすねと同僚が笑った。私は答えるかわりに続けざまに深くあおった。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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