フリーター、野宿者、そして衰退する日本(あとがき)

  2017/08/22

昨日は一時間制作。のち体重計に乗り、許容範囲だと甘えてランニングをさぼる。そして男はつらいよを見て、するとその話は特に良くて、なんか涙ぐみながら床に就いた。

なんかここ数日、ひとり勝手に作家然とした気分で「ブログを書く」というより「執筆」といった言葉のほうがしっくりくる感じだった。ので、もう少しだけ作家ぶってあとがきなどを書くことにした。

画像はぼくの部屋の中を数日間もうろうろしていたクモが、ある日みずから入水してご臨終されていた図。

では本題に入る。

ある人に、なぜこんな文章を書いているのか、なぜホームレスに興味があるのかと聞かれた。

ぼくはちょっと答えに窮した。だって、ぼくは単に本を、「ルポ 最底辺 不安定就労と野宿/生田武志/ちくま新書」を読んで、わかりやすく衝撃を受けただけだった。いや、基本的に利己的なぼくなので、ホームレスの生態になんてたいした興味はない。それこそ「勝手にやってくれ」だ。

でも、ただひとつ思うのは、これを読んで、ぼくはホームレスにはなりたくないと強く思った。そして願わくば日本のあらゆる街角でホームレスを見かけたくない。

安っぽい優越感情などを除けば、ホームレスを見て気分がよくなる人など皆無だろう。居ないほうが良いに決まっている。しかし、居るからしょうがない。見てみないふりをするしかない。

ではどうすればホームレスの居ない社会が実現するか。

社会性に乏しいぼくは、その具体的な方策を持たないし、それに関する何らかの運動を起こす気力も時間も持ち合わせていない。世の中のことは無視してエゴイスティックに一銭にもならない絵を描き続けるような人間だから。

しかし、何かしら伝えたかった。このブログにはせいぜい2〜30人の読者しかいないのだが、それでもその数少ない読者に、伝えたかった。

そんな吹けば飛ぶようなちっぽけすぎる行為に、なんの意味があるのだろうかとも思う。むしろ我ながらよく執筆のモチベーションが続いたと思う。

しかしぼくの書いた文章によって、ひとりでもホームレスに対する考え方が変われば、世界は変わっていくと思えるのだ。

世の中とは個の集合体、群衆だ。その群衆がいったい何によって動いているのかと考えると、ぼくは"雰囲気"だと思う。

たとえば、デフレだからみんなもっとモノを買いましょうというが、買わない。それはなぜか。

あるいはバブルのとき、放っておいてもみんな狂ったように消費活動をした。それはなぜか。

雰囲気である。

経済の見通しがどうだとかGDPが何%だとか言ったって、たとえその理論や数値が完全に正しくそして完全に明るいとしても、人はそうそう動くものではない。誰が逐一それらの情報を個々人レベルで正しく理解・判断して行動に反映させているというのだろう。紀元前のはるか昔から、群衆はいつだって右を見て、左を見て、危険・安全・楽しい・悲しいといった一切の雰囲気を肌で感じて、呑み込まれて、そうして動いてきたのだ。

雰囲気の力は絶対だ。雰囲気は国家にまで及ぶ。政治で言えば、小泉元首相はやたらと人気があったが、菅元首相はちっとも人気がなかった。その差は何か。

政策がよかった? 実行力があった? はたまた時の運?

否、大半の人は今度の首相の政策の内容や、狙いは何か、実行力はあるか、思想や宗教観は、世界的な位置づけはどうか、なんてことはほとんど知らない。顔しか知らないと言っても過言ではない。そうしてまったくその人となりを知らないが、小泉の時には女子高生までが黄色い声を浴びせかけ、管の時には総スカンであった。それはいったいなぜなのか。

雰囲気である。メディアや周囲の人の口コミの中で醸成され肌で感じとった雰囲気でしかないのだ。

そうして雰囲気を作り出すのは結局個々人である。単純に言えば多数決で、笑う人が多ければ明るい世の中になるだろうし、泣く人が多ければ暗い世の中になる。

で、ようやくホームレスの話に戻るが、なんの知識も考えもなくマイナスの存在としての認識しかなかったホームレスについて、ひとりでも見識が変われば、それが連鎖していく可能性を持っている。逆に言えばたったひとりの見識さえも変わらないのであれば、それは永遠に全体としても変わらないだろうということだ。

少なくともぼくのホームレスに対する認識は、この本を読んで変わった。同じように、このブログを読んで、ひとりでもホームレスに対する認識が変わったとしたら、それはもうぼくの執筆の労力や時間に対するなによりの報酬である。

というわけで、長々とご高覧たまわりありがとうございました。またいつかこんな感じの文章を……というか、すでにまたあれこれ熱く主張したい本に出会ってしまってる。「ヒロシマ・ノート/大江健三郎/岩波新書」。はだしのゲンよりも、もっと人間の内奥に踏み込んだ、悲惨や衝撃、だけじゃない、ヒロシマがありありと描かれている。のうのうと広島に生まれ住んでいたが、いまさらながら、原爆が落とされたヒロシマに恐怖してしまっている。もう少しで読み終わるところで、あ、ついでに残暑お見舞い申し上げときます。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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