残された理由

  2017/08/22

たまに、人がごはんを残しているのを見かけることがある。

それは、トンカツのキャベツだったり、カレーのごはんだったり、あるいは料理のほとんどすべてだったりする。

残された理由は色々だろう。たとえばトンカツのキャベツであれば、刺身のツマのように基本的に食べないという人なのかもしれない。カレーであればルーを先行して食べ過ぎてしまい、結果ごはんが余ってしまった。もしくは、注文してはみたものの口に合わなくてまったく食えたものではない、等々。

ところで昨日、ラーメンを実に中途半端に残している人を見かけた。いや、正確にはラーメンライスである。ラーメンをおかずに白飯を食べるという、例のあれである。

その男は、年の頃は30の半ばから40前半くらいだろうか。いかにも寝起きだという感じのボサボサ頭で、無精ひげが見苦しく伸び切っていた。男は、その店を初めて訪れたものらしい。券売機で食券を買わねばならないことを知らないようで、そのまま席について店員に案内されていたからだ。

食券を買って店員に渡すと、男はカウンターの端っこに腰かけた。すぐに目ざとく店の注意書きや、各席に設置されている薬味、無料トッピングのもやしとキャベツを入念に確認した。さも当然というその挙動に、男はもしかするとラーメン評論家の類なのかもしれないと思わなくもなかった。気の抜けた風采で来店し、まさか評論家などとは思われずにお店の本来の対応や味を引き出そうとする作戦か、どうか。

5分とかからず、男のもとにラーメンとライスが一緒に運ばれてくる。この店はラーメンライスの何たるかをよく心得ているようだ。いや、男は事前に調査済なのかもしれない。というのも、この店のラーメンは東京では珍しいほどの濃厚なとんこつで、非常にごはんが進むのだ。

男は、まずスープを一口、二口と味わった。レンゲは使わなかった。それを見て、私の憶測が少しばかり確信へと近づく。いつか何かで、ラーメン評論家、いわゆるプロはレンゲを使わないと聞いたことがある。しかも最初にスープを味わうのも、一口ではなく、二口でなければならないという。

それから麺を一すすり、二すすり。そこへごはんを一口、二口。次いで、やはりスープを一口、二口。その動きは、どこか重々しく力がこもっていた。食べ進めるほどに力がこもっていくようで、その一方、どうしてペース自体は落ちていった。

早食いというわけではなかった。10分ほど経っても、どう見てもまだ三分の一ほども食べられてはいないようだった。男は身体もがっしりとして大柄で、とても小食の人には見えなかった。加えて、ラーメンだけではなくライスも頼んだのである。そのチョイスには、確固たる〈食べる意志〉というか、単純に言えば〈食欲〉と言うべきものがありありと見て取れる。

果たして、男はすっかり食べるのをやめてしまった。それから2分か3分、じっとして、考えごとでもするような、悩むような風で佇んでいた。時折、箸を持ってふたたび食べようと身じろぎするのだが、口にまで運ばれることはなかった。そして不意に、脱いでいたコートを手にしたかと思うと、「ごちそうさまでした」とつぶやくように言って出ていった。

男が座っていたカウンターには、ラーメンが三分の二ほどと(しかも厚切りの二枚のチャーシューに至ってはほんのわずかかじられただけである)、ごはんがこれまた三分の二ほど残されていた。

傍から見れば、その男がなぜそのような残し方をしたのか、不可解で理解に苦しまざるを得ない。全然口に合わなかった? それがまず考えられるだろうが、それにしては食べ過ぎだろう。本当に口に合わなかったとすれば、およそ三分の一は食べ過ぎである。では、お腹がいっぱいになってしまった? だとしたら、はなから〈ラーメンライス〉などというがっつりした組み合わせで食べようとはしないだろう。もしくはそもそも食べ物を粗末にする人間で、基本的にこのような食べ方をしているのかもしれない。いやいや、予想通り男はラーメン評論家であり、これからハシゴせねばならない店があり、ここでお腹いっぱい食べるわけにはいかなかったのであろうか。

そうして、推理はいくらでも可能だった。しかし、そのどれもが決定打に欠けていた。そう、本来的に人は人を理解することができない。なぜそれをそのようにするのか、どうしてそうしたのか、いくら見ても、穴が開くほど凝視しても、見ているだけでは決してわからないのだ。

いったいに、人と人との間には何が横たわっているのだろうか。理解不能という諦めだろうか。それでもなお自他の壁を越えようと志向する愛だろうか。はたまた、そこで真実とはなんだろうか。名探偵コナンはよく「真実はいつも一つ!」だと言うが、世の中はそんなに単純ではない。人と人との組み合わせの数だけ、視点の数だけ、その絡み合いの先々に、それぞれにとっての無数の真実があるのではないだろうか。

私は真実を追って、男の跡に続いて店を出た。ラーメン屋を出た男は、その足で横断歩道を挟んではす向かいにあるパチンコ屋にまっすぐ入っていった。それから店内をぐるりと一周すると、何やら苦しげな表情を浮かべて階段を上っていった。二階、三階まで行くと、トイレに入った。小ではなく大の方に、ほとんど倒れ込むように身体を滑り込ませると鍵を閉めた。そして便座を上げるや否や、男は嘔吐した。ラーメンやら飯粒、もやしのカスなんかのドロドロになった吐瀉物が便器に飛散した。男は二日酔いだった。嘔吐した本人である私が言うのだから間違いない。真実はいつも一つ! である。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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