その埋められない溝を覗く者(2)

  2020/08/19

各回リンク:(1)

「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また、私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」(ヨハネ20章25節)

トマスはキリストの復活を信じなかった。だから、裏切り者のユダと同じニュアンスで、不信のトマスと呼ばれている。カラヴァッジョの絵画に、まさにその場面が描かれている。キリストの右胸の少し下、まるで女陰のようにパックリ開いた傷口に、トマスが人差し指を差し込んでいる。それはかなり深く、第二関節くらいまでがずっぽりと入っている。トマスは信と不信の間を逡巡するような顔つきで、どうにも呑み込めない困惑が実によく表れている。

さて、ぼくが勝手に名付けただけの作業員のトマスではあるが、その表情にはカラヴァッジョの描いたトマスに少なからず通じるものがあった。仕事を信じていないような、人間を信じていないような、もっと、世間そのものを信じていないような、しかし一方ではそのように斜に構えた自分を信じているような。

それはともかく、トマスはいまだ一言も発してはいなかった。腕を垂直におろし、軍手に似た白手袋をつけた両の手の左の方で、ただ、蛍光色に近い黄色の拡声器を握りしめていた。それでも仕事の義務感からだろう、時折、わずかに首を動かしては、左、右と、いかにも仕事してますよ的な視線を中空に放っていた。

それは、周囲の空気に馴染めない子供が、苦し紛れのその場しのぎで、人のやっていることを真似るともなく真似ているような、ぎこちなさと同時に痛々しさを感じさせる所作だった。

一方の仏陀は、早くも本日の相方であるトマスに見切りをつけたらしく、川崎方面行のホームのフェンスの外、つまりは一般の車道にいる、同会社か同系列か、とにかくは関わりのあるらしい人たちに、金網越しになにやら話しかけて談笑の場を築いていた。

トマスの左斜め後ろに立つぼくの眼に、トマスが左を向いた時に露わになる頬の色と質感が、ひりひりと染みるようだった。それは、ほの赤くぷっくりとして思わず触りたくなる子供の頬のようなものではなく、むしろ、その美しい皮を剥いであべこべにして2、3日そこらで天日干し、ひからびたような感じだった。数式で表すなら「男×肉体労働=人生」とか。そこへきて、2月の骨身にこたえる寒さが、みじめさとか哀れさといったありがたくない感傷を添えていた。

実際、2月は12月より寒い。というか、1年でもっとも寒い。気持ちの上でも、年初の浮かれ気分はほとんど失せ、かといって春は遠く、せいぜい一ヶ月が短いので月給が固定給の人にはちょっとお得というほどの宙ぶらりんな時分である。

寒くて長い10分が経過しようとしていた。近くの踏切が警報音を鳴らし、遮断機を下ろしはじめる。9時37分谷保発立川行きの到着である。

と、にわかにトマスが動き出した。いや、動き出すというより、そわそわと落ち着かなくなったといったほうが正しい。トマスは黄色い線を一歩だけ超えた。内側に下がるのが乗客ならば、自ら外側に出る者は皆すべて仕事の人である。トマスは、まさしく乗客と一線を画したようだった。トマスはどこかに向かうためにホームに居るのではない。ホームに居るために居るのである。ホームに居ること自体が仕事なのだ。

トマスは職務を果たそうとした。不自然に前のめりに首を突き出し、線路を左、右、つまり、立川方面、川崎方面と、船乗りがまだ見ぬ新大陸を見はるかすような大仰さで、立川、川崎、異常なし、線路も、ホームも、異常なし、といった挙動を繰り返した。しかし、相変わらず肝心のアナウンスは無い。少なくとも昨日立っていた作業員ならば、すでに数回は繰り返しているだろう。しかしトマスはアナウンスしない。それは自分の業務外だという主張かどうか、拡声器をあさっての方向に向けて遊ばせている。

遠くに電車が見えてくる。トマスは物言わず、左右の点検を繰り返す。鉄のきしみぶつかる走行音が聞こえてくる。それらに比例するように、これが仕事だと言わんばかりに、トマスは熱心に首を左右に振った。ホームに滑り込むのは時間の問題である(そもそも時間の問題でしかないが)。

ぼくは、トマスの背後、手が届くほどの位置に立って、どうでもいいことだとは思いつつも、気を揉んでいた。アナウンスを言うのか、言わないのか。いや、そもそも職務として、トマスの与えられた仕事として、それは義務なのではないだろうか。アナウンスをしないということは、職務の怠慢でしかないのではないか。つまり仕事の放棄。となると、誰だか資本主義の上層部的存在から、君は明日から来なくていいいからねと、PC上でチョンとハネられるのではなかろうか。いやいや、もしかすると今日はまだ新入りだということで、正面のホームに立つ仏陀か誰だかの気遣いで、「今日はおれのやること見てりゃいいから。それで覚えたら、明日からがんばろうな」などと現場に入る前に言われたのかもしれない。

しかし、杞憂に終わった。電車がホームまで100mほどの距離に迫ってきた時、トマスは拡声器を素早く口元に運んで、発したのである。

「電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください」

もちろん仏陀に比べて声の抑揚は薄く、また声量も乏しかった。

「えー、電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください」

トマスが「立川行きの」とは言わないことが、妙に気になった。そのことに確固とした意味があるように思われた。たとえば、工事によりホームが狭くなっている。だから電車が来る時には注意を促す。しかし、作業員である自分にとって行き先は関係がない。あくまでも電車に注意を促すのが自分の仕事であって、”立川行きの”電車に注意を促すのが仕事というわけではない。青梅でも新宿でも何行きでも関係ない。重要なのは電車が来ることそれ自体である。そう、工事によりホームにいる乗客に危険が生じる可能性がある。それを未然に防止する。それが作業員としての自分の仕事である。だから、電車という物体への注意は促すが、「立川行きの」電車と断って注意を促すのは、業務の逸脱でしかない。行先を案内するのは駅員の仕事である。肉体労働、作業員という仕事を選びはしたが、駅員になった覚えはない。まったくないのだ。

「えー、電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください」

トマスは実に作業的に、棒読みとしかいいようのないアナウンスを繰り返した。

「え~、立川行きのぉ電車がぁ参ります。え~、黄色い線のぉ、内側までぇお下がりぃください。え~、まもなくぅ電車がぁ参ります。」

そこへ、仏陀が見かねたように、あるいは加勢するように、アナウンスを差し込んだ。前日の作業員の分担を見る限りでは、川崎方面行の電車についてのアナウンスは仏陀側のホームの作業員、立川方面行はその逆であった。

トマスは思いがけず発せられた仏陀のアナウンスに気圧されたのか、「えー、電車が」と言いかけて、口をつぐんだ。

トマスには、仏陀の方向性とは、否が応にも衝突せざるを得ない何かがあった。それはたぶん、ちょっと気の毒にも思えるほどの”価値観の相違”である。

続く。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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