表現の本質(ダウン症の我が子と戦争体験から見る表現の問題)

  2020/06/26

冒頭から結論を述べれば、表現とは〈伝えること〉に他ならない。欲を言えば〈より良く伝えること〉であろう。

最近、以下の二冊を読んで、表現というものについて思うところがあったのである。

【ダウン症の子をもって(新潮文庫)正村 公宏】
【7%の運命―東部ニューギニア戦線 密林からの生還(光人社NF文庫)菅野 茂】

それぞれタイトルの通りではあるが、ダウン症の子供を授かった親の綴った話と、第二次世界大戦に従軍した一兵卒が書き起こした話である。いずれも実体験であり実話ということ以外は、まったく関係ないような本である。

しかし、たまたま同時期に読み始め、交互に読み進める中で、不思議と共通する何かを感じることが多々あった。それはいったいなんだろうかと考えてみるに、おそらく根底に「伝えようとする意志」が強く脈打っていることではないだろうかと思う。

「伝えようとする意志」などというと口幅ったいが、もっと単純に言えば、「私はこの本を書かなければ死ねない」というようなことである。両者には、その質こそ異なるが筆舌に尽くしがたい現実体験があり、それをどうにか言葉に変換して表現している。具体的に、それぞれ印象深い箇所を引用してみたい。

“草原を歩きながらバッタを捕まえて口に放り込み、また捕らえては口に入れた。持ち帰って調理する余裕さえなくなっていた。私たちは口の端から青い汁を流しながら歩いていた。棒切れでたたいた蜥蜴の尻尾が切れ、びくびく震えているのを、そのまま口にほうりこんだ。”
(7%の運命―東部ニューギニア戦線 密林からの生還(光人社NF文庫)菅野 茂:P122)

“病気になっても安心して寝ていられない。片時でも眼を話したら何をするかわからない子どもをかかえていては、何もできない。この子の重さがヒシヒシと感じられる。病気になったときには、それが頂点に達する思いがする。”
(ダウン症の子をもって(新潮文庫)正村 公宏:P34)

一方は戦争での飢餓、一方は障害を抱えた子との生活についての描写である。私が注目したいのは、どちらの表現も〈非常にシンプル〉だということだ。いたずらに技巧を凝らすことなく、ありのままが活写されている。もうひとつ引用してみたい。

“次の日の朝早く、汀(みぎわ)に立ってみた。紺碧の海、人影もない白い砂浜、緑の椰子林。自然は休息することもなく、朝陽に映る椰子の葉が、キラキラと輝いている。”
(7%の運命―東部ニューギニア戦線 密林からの生還(光人社NF文庫)菅野 茂:P220)

“このときはぶたれたわけでもないのに、涙をぽろりとこぼして泣いていました。かかえこんで「よしよし」といってやりましたら、感きわまって、ぽろぽろ涙を流していました。”
(ダウン症の子をもって(新潮文庫)正村 公宏:P151)

素直で率直な表現は、頭に滞りなくすっと入ってくるものだ。しかし、ともすれば〈キラキラ〉や〈ぽろぽろ〉といった擬音は稚拙な印象を与えかねないものでもある。にもかかわらず、ここではひとつの最適解としてあるように思える。その他、例を挙げればきりがないが、端々でこのような表現上の共通性に気がつけばつくほど、私にはそれが非常に奇異なことに思われた。

というのも、両者が同程度の作文能力を有しているというのならばわかる。これは表現するうえでの〈ねらい〉であり、私はまさにその目論見通りにすらすらと分かりやすく読み進めることができたのだ、と。

しかし、実際は雲泥の差があるのである。【ダウン症の子をもって】の著者の正村氏は東大経済学部卒であり何冊もの著書をお持ちである。しかし【7%の運命】の著者の菅野氏は、戦中に生まれたということもあり、ろくすっぽ学ぶ機会もなく戦争に駆り出された。それに加えて“私は、字が下手なこともあって、文章を書くことは大の苦手だった。年賀状もろくに書いたことがなかった”(同書P267)のである。

そう考えると、これはいかにも〈奇妙な〉表現性の一致とはいえないだろうか。私はそこに、ひとつの完成された表現形態を見るのである。一方は作文能力をそこに狙い定めて落とし込んだ、あるいは引き下げたのであり、また一方は、四苦八苦してその表現にまで到達した。その地点は、奇しくも同じ場所だった――。

むろん、実体験であり実話であるということが、〈作話せずに済む〉という余裕を生み、自然と表現を簡潔にさせるということもあるだろう。しかし、私はそれを差し引いたとしても、両者に共通する簡潔で直接的な力強さには目を見張るものを感じるのである。

我々は往々にして、何かを伝えようと試みる時、体裁を装うことばかりに心を砕きがちである。思わせぶりな言い回し、かえって混乱をまねく比喩、もったいぶった慣用句や難読語の乱用など、そもそもの目的である〈伝えること〉から逸脱してしまうのだ。

表現者の端くれとして、自戒を込めて書き記しておきたいと思う。表現とはどこまで行っても人に〈伝えること〉でしかあり得ないのだ。他者を想定しない表現がまかり通るとしたら、それこそ付き合わされる方がいい迷惑であろう。そんなものはもはや表現ではなく単なる自慰に過ぎない。いっそひとり隠れてこっそりと、夜な夜な気の済むまで耽っていればそれでいい。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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